2013年9月6日金曜日

自分の心を、「楽」にする生き方~③



「自分軸と他人軸、置き換えた時に初めて知る真理がある」
マザー・テレサが感銘を受けて、修道院の壁に書いたと言われる、ケント・M・キースの「逆説の十か条」
ご存知の方も多いかも知れません。

逆説とは、一見、心理に背いている様に見えて、実は真理の一面を当て表している表現。
「パラドックス~paradox~」という言葉で表されることもあります。

私が初めてこの十か条に触れたときの正直な感想は「無茶言うなよ…」でした。
ですが、歳を重ねるうちに、確かにその通りの事柄が、目の前の困難として立ち塞がる様になって行き、最初は不条理にしか感じなかったのですが、次第に、次第にですよ?
十か条の一節一節の後半部分「それでもなお、」に対して感銘を受けるようになりました。
若い頃の話ではありません。完全にオッサンになってから、ここ数年来、最近の話です^^;

例えば現実、私自身に今、直面しているのが、
八、何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
各か条文の前半部分を相手軸・他人軸からの視点、後半部分を自分軸からの視点(自身の正義)で観れば、全てが理不尽と捉えられる事柄も、
逆に前半部分を一人称である自分軸、後半部分を二人称、三人称である相手軸・他人軸で観た場合、心に落ちるようになりました。

仮に一、の前半部分
「人は不合理でわからずやで、わがままな存在だ」
ここに、一人称の自分自身に当てはめた場合、
私自身がそうであると思います。
しかし、振り返ってみれば、「それでもなお」、後半部分にある、
周りの人たちからの愛情を感じて来ました。
そこに気付いたときに初めて、自分自身の傲慢さも同時に体感したのです。

「何故、自分ばかり」、と思う時もあります。
しかし、本当に自分ばかり、なのか。
気づかぬうちに自分自身も相手に対して困難を与え続けているのではないか、
「それでもなお」許されていることに慢心して気付けていないだけなのではないか。
そう感じるようになり、落ち込むのではなく、「それでもなお」、与え続けてくれる人の心の優しさ全てに感謝出来る様になります。
自分にとっての逆風は、とても辛いですよね。
「何故?」の連続かも知れません。

「それでもなお」、怖がらず、置かれている立場、困難や試練に「感謝の心」を忘れず前を向いて突き進んで行く勇気こそ、成功への王道、そう私は考えます。

オッサンがオッサンになって、初めて感じるようになった事です^^
もしかしたら、もっと爺さんになったら、もっとずっと真理に近づけるのかも知れませんが(笑)

自分の心を、「楽」にする生き方~②



「人に左右されない、自分だけの人生を手に入れる」

人間とは、兎角、自分と他人とを比べ勝ちです。
仮にライバルのAさんがいた場合、自分とAさんの置かれた立場、実力、素質、それを比較して自分の方が優れていると傲慢になったり、または敵わないと劣等感を持ったり。
ですが、世界の人口は今、71億を超えているそうです(笑)
誰と比べて幸せなのか、それは人生にとって、果たしてそんなに大切なことなのでしょうか。

例えば、貴方がプロ野球選手を目指しているとしましょう
Aさんは日ごろからオーラを醸し出す、ドラフト1位候補。
貴方は、然程、目立たない、ベンチウォーマー。
その時、その瞬間、その項目の観点では、貴方はとてつもない劣等感を感じるかも知れません。
ですが、考えて見てください。
プロ野球選手になるのが、貴方の宿命なのかどうか。
野球選手の平均寿命は驚く程短く、6~7年平均と聞きます。
もちろん、運命を手繰り寄せた選手だけが残る、そういった世界なのでしょう。

では、貴方はどうか。
人生とは失敗と検証の繰り返しです。
たかだか10代の輝きで一生を生きていくか、それとも80歳まで信じるべき道を見出し生きて行く何かを手に入れるか。
それは、本当に貴方次第なのです。

私は若い頃、音楽でメジャーデビューのかなり近いところまで進みました。
過去、それが自分のセールス部分で、そして長い間、常に劣等感に苛まされる部分でした。
人の才能を否定しました。自分だって、チャンスさえあれば、そんなアホな事を考えた無駄な時間も過ごしました。

結局、自分に実力がなかったので、その道に仮に進んだとしても、結果は出せなかったでしょう。

今、私は、自分が置かれている立場に対して天命を感じます。
自分が若い頃、望んだ人生とは違う、それは間違いないです。
しかし、歳を重ねるうちに、自分が切り拓いた先にある運命。
今を生きて、では嫌かどうか。むしろ、喜びしか感じません。

競争社会において、自分の対象を身近な人に求めてしまう、これはある意味仕方ないとは思いますが、高校球児として結果を出せず、そしてプロ入りが叶わなかった貴方の人生は、下降の一途を辿るのでしょうか。

私は、人生とはチャレンジであり、着飾らぬ自分と向き合ったとき、初めて自分の天命を知る、心からそう感じています。
向き不向きを考えた時に、踏ん張ってでもそこに自分の天命があるのかどうか。

しつこいようですが、人生とは
「宿命で幕を開け、運命で幕を閉じる」

運命とは「運ぶはたらき」

自分自身の積極性が運ぶ、行く末の事です。

私も皆さんも例外なく、「人生二度なし」という部分では全く一緒です。
絶え間なく、自分の人生を切り拓き、積極的に運命を呼び込みたい、私はそう考えます。

自分の心を、「楽」にする生き方~①

~自分の心を、「楽」にする生き方①~

「人間原理宇宙論」という言葉を聞いたことがある方、いらっしゃるでしょうか。

そもそも地球を含めた宇宙とは、人間の予測的観測により初めて成り立つ世界で、宇宙の歴史160億年も、人間が自らの尺度で予測した推論でしかなく、宇宙における現在・過去・未来の定義も、そして時間という概念も、人間の考察なくして成り立たないという考えです。
最近、マクロとはミクロから生まれた、というサイエンスドキュメンタリーを観る機会があり、ある意味、「うわっ!良く判んないけど怖っ」って感じましたが。
最初に感じたのは小学生の頃、「火の鳥」で、ミクロとマクロの世界を図解(漫画)で観た時のショックが大きいですね。

人は生まれて、しばらく生きてから必ず死にます。
これは誰もが認める、非例外ですよね。
そして、死んだ際に、21グラム程の体重が軽くなるそうです。

これは、宗教的には魂の重さ、科学的には人間個体の情報の重さ、と捉えられ、かなり前から研究がされているそうですが。
私は、学者ではないので「へー、そうなんだ」としか感じませんが、魂の存在を否定したい訳ではありません。
でも、そう考えると例えば、仮に空のCD-Rに音楽を収録した際、情報量として何μmか重さが増えるのかどうか、それより少ないながらも目に見えない単位の重さでも増すのかどうか、正直、興味本位で気になります。
どちらにせよ、凡人の僕には解り兼ねる世界です。

ただし、どんな理屈を越えたとして、ひとつ言いたいのは、それでも21グラムの情報体でしかなかったとしても、私たちに許され、私たちが体感しているこの世のすべての出来事の善し悪しは、結局、どんな原理があろうと、真理は自分の心が決めるということです

自然万物は神が創造したのか、そこに誰か何かの意図が存在するのか、それとも偶然が偶然を重ねた結果なのか、私には良く判りません。
ただし、霊山と呼ばれる山々や、自然の調和の美しさを目にした時、感動を越えた何かを感じるのも確かです。
逆に、生命や何かの限界を感じた時に、鬱蒼とする気持ちに覆われるのも確かです。

人に中傷されたり、傷ついたり、逆に中傷したり傷つけたり・・・
何時でも、自分の心が他の何かと自分を対比させてコントロールしている。
それだけは事実な気がします

人間の体には、頭の先から足の先まで神経が張り巡らされています

これを、ナーバスシステムと呼ぶそうですが、
大きく分けると、自分の意思で各期間を動かす(例えば、口や手など)神経=体制神経。
もうひとつは、自身の意思に関係なく機能を調整する、自律神経。
自律神経には、ストレスを司る交感神経、リラックスを司る副交感神経。
あくまでもこれは数ある学説の中で最も有力と(今の時点で)言われている説のひとつ。
※ ここ、科学・医学的に突っ込まないでくださいね、私が答えに困りますから(笑)

で、自律神経とは、個人として意識しなくても勝手に栄養を吸収して余剰な分を排泄したりする仕組み、簡単にいえば、ですが。

ところで例えば、うつ病。
肯定的な意見と否定的な意見があるのはこの際、無視します^^;
ただし、「うつ」と診断された際の脳内分泌は正常の状態と全く違うと科学的に解明されています。
これこそ、自律神経失調であり、でもそれを支配することが、人生を切り拓く為に乗り切る最たるものだと私は感じるのですが。

私自身、20歳過ぎから、常に37度以上の微熱があります。
過去、体の不調を感じ、それこそ医療の全セクションの診察を受けた程です。
結果は出ず。先生によっては「詐病(嘘の病気)」と診断されたこともあります。
そのあと、重いうつ病と診断されました。
その他、過去には大病もして、人生についてとても悩んだ時期もありますが、今は少し違うんですよ。

熱が高い=抗菌と戦う抗体が活躍する。
そして、自分の心が、人生を楽しくも悲しくもする、という風に気づいたからです。

私は自分が24歳の時に、上顎洞ガンと診断されました。
その時は、神にしがみつきました。
次は髄分、先ですね。
41歳の去年、ストレスからの胃潰瘍・十二指腸潰瘍が18個以上、発見された際、悪性の可能性を示唆されました。
三回もの精密検査の上、結局は今回、良性だったのですが。
ただ、その時に思ったのですよ。

24歳の時は、死神に取り憑かれた様に。
でも、41歳の時の自分が部下に言ったのは、「これからの俺の生き様。刮目せよ」でしたね^^
恥ずかしいですが、確かに言った…。

そう思えたのも(これも中身を対して読んでなくて申し訳ないですが)、安倍信三先生の「人生二度なし」という本のタイトルを知った、ただそれだけの事なんです。

気付いたからにはめっちゃラッキー、いえ、これ本当^^
アホに思えるかも知れませんが、生きているだけでラッキーだと思えると、人生はとても楽になります。

不調の原因は自分が生み出すのです。
これは、故・中村天風先生の述を読んで「うん、うん、その通り」と感じたのですが、「体は病んでも心まで病むな」という教えです

中村先生曰く、ある人は、「こんなに信心しているのに、何故、自分は病に苦しむのか」と、心を病んでしまう人。
もう一人は、中村先生曰く、ある人は、「体はかなりきついですが、心は元気、まだまだ生きてます」と答える人。
私はそこに人生の真理があると感銘を受けました。

自分を不幸な身と思えば、そりゃ一瞬、心は楽になる。それは私の経験上、そうだったから。
ただし、そのあと、とてつもない地獄がやってきます。
もし、自分を大変な事柄だが、これを自分に与えられた試練として受け止めたら、自分はもっと成長する、そう考えれば、人から観れば今は地獄でも、その先、天国がやってくる。
それが、私の身を張った、人生たった42年間の答えです。

仮に魂は、たかだか21グラムの情報体に過ぎないかも知れない。
しかし、そこに自意識を認められた分、悩み苦しみ、そして得ることの出来る達成感、その為に私は生きている、と言っても、先ず、過言では無いでしょう。

人生は苦しみの連続です、それはビジネスの世界も一緒です。
ですが、少しだけ自分を楽に俯瞰から観るだけで、人生は大きく変わる、ですが、それはあくまでもたった42年間の歴史しか持っていない私の持論です。
もちろん、反対意見も多いでしょう。
もし、84歳まで追求した方の生き方こそ正しい、と思うのであれば、それはそれで良いと思います。
私は自ら感じるのは、過去、様々あった中、42年も生き長らえることが出来たのは、偶然という名の「必然」、そう感じております

ですので、何か若い方に伝えることが出来るものは無いか、日々、感じる私を否定せず、受け入れてくださる方がひとりでもいらっしゃるとこれ以上の至福は無い、これは本音なのです^^

若い皆さんと比べ、私は何が出来る、という訳では有りません。
ただし、歳を重ねた分、「あいつ、偉そうだよ」と思われながらもニコニコ持論を述べる余裕だけ身に付いたのかも知れませんね^^

今日も、自らの経験値からのお話です。
お粗末様でした。

危機の時代のリーダーとして活きる~③



「批判を恐れていては、企業としての本質と評判を失う」

さて、前回、前々回の更新からの課題(出来ましたら、同タイトル①②を読んでくださると有難いです^^)

○○交通の支社長が選んだ決断。

① 当番制の運転手を行かせる
② 挙手制で個人の意見を尊重する。
③ 自ら指名して命令として行かせる。

支社長が選んだのは③でした、というところで前回は終わらせていただきましたが、私はその選択に賛同します。
経営者セミナーの講師(ビジネスコンサルタントであり、○○交通、本部代表取締役)は、「私にも答えはわかりません」と仰っていました。

しかし、消去法で考えても、①と②は有りません。
仮に①を選んだ場合、部下の運転手たちは自分の運命を呪うでしょう。
「何故、こんな重大な時に、自分が」と。
シフトだから、では、誰も納得しませんし、家族もその選択に合意出来たものではありません。

では、民主制自由主義に見える②は、どうでしょう。
支社長の立場でありながら、最終選択を部下に預けるのです。
「自ら選択した自由を尊重する」
言葉とすれば綺麗ですが、現場への責任の押し付け以外、何でもないと思うのは私だけでしょうか。
あいつは自分で選択して行った → なので責任は個人にある。
どうでしょうか、私がひねくれているのか。

支社長という総責任職として、責任の所在を明確にするのは③です
自分で部下を選出したのですから、批判も部下と部下への保証責任も、支社長に集中します。
だからこそ、③でなければならない、と私は思います。

その時の経営者セミナーの講師の話ですが、支社長は悩み苦しんだそうです。
人生最大の決断を迫られた支社長の苦しみ、それは私のような凡人には解り兼ねる苦悩でしょう。
ただ、どうしても選択をしなければならなかった。
決断したからこそ、8万人の命を救うことが出来たのです。

部下の功績のすべては部下の功績、上司の判断の失敗はすべてが上司の失敗。

私はその○○交通の支社長と全く面識は有りませんが、敬意の気持ちしか浮かんできません。

時代によっては民主型リーダーシップが尊重されるでしょう。
ですが、危機の時代だからこそ、私は専制型リーダーシップの必要性を提唱します。
もちろん、リーダーである立場では、一切の間違った判断は許されない、というのが大前提ですが。

さて、重苦しい話が続きました。
明日は、人生を軽くする生き方、について書きたいと思います^^

危機の時代のリーダーとして活きる~②



「道を守って生きていれば孤立する。だがそれは一時のこと」

さて、前回の続きです^^
前回に出した問題をあらためて書きますね。
※ 出来れば前回の更新も読んでくださると有難いですが^^

私が、とある経営者セミナーで講師の先生に出された質問。

貴方は○○交通の支社長です。
まさにメルトダウン直前、24時間という制限の中、100人の部下(バスの運転手)を差し出し、被爆対象となる(可能性のある)エリアに住む、8万人の命を救って欲しいと、国から本部の社長を通じ、依頼があったそうです。

本来であればこれは「命令」のところ、時の党首が民主党だったため、あくまでも「依頼」だったそうです。
※ 何故、命令なのかは、有事の際に住民の避難を最優先する約束のため、エリア独占にてのバス運営を約束されていたから。

さて、貴方は支社長としてどの様な判断を下すでしょうか、という質問でした。

先ず、80名近くいた受講生(経営者またはそれに準ずる人たち)の答え。

「8万人を救うために100名の部下とバスを出す」
と、答えた人は、おそらく15名くらいだったでしょうか。

出さない理由として
「100名の命も8万人の命も、重さに変わりはない」
「経営者としての私が全ての責務を取るので、部下を危険に晒せない、よって行かせない」
「自分が行く(これは意味がわかりませんでした^^;)」

私は、「8万人の命を救うために部下とバスを出す」と答えたので上記判断が正しいとも間違っているとも主観では言えませんが。

ただ、この問題は引っ掛け?ではないですが、

「有事の際、住民の避難を最優先するためにエリア独占にてのバス運営を約束されていた」

という点に着目していただきたいのです。
人の命の重さは変わらない、というのであれば、「行かせない」との判断を取れば、間違いなく8万人は被爆するのです。

中には乳飲み子を抱えて動けない母親、病院で寝たきりのご老体。また、彼らに対する責務で、助けが来ない限り自分自身と家族も運命を共にするという方も多くいらっしゃるでしょう。

リーダーの判断で行かせない。
「お前たちを危険な目に合わせる訳には行かないんだ」
先ずは納得する。なんて出来た支社長だろう。ですが、人間は考え悩みます。
そこに矛盾が出てきて100名の部下たちは、後々、後悔に苛まれるでしょう。
自分たちにしかその役目を果たすことが出来ない訳です。それを放棄する選択なわけですから。

東電の例を出して恐縮ですが、震災後、企業として忌み嫌われる様になった。
ただ、それだけではなく新たな「差別」が始まりました。
東電社員の娘だから採用は取り消し、婚約は解消。
東電社員の息子だから学校で苛められても当然。
これはすべて事実、当たり前にあった出来事です。

話を戻しましょう。
○○交通の部下たちは、総勢、数百名います。仮に300名として1家族4人計算で、1200名。
助かるはずの命を見殺しにした、その家族と国民の怒りは社長のみならず、1200人に降りかかるのです。

さて、支社長の出した答え。
8万人の命を助けるために、自分の部下たちから100名を選出し、ピストン輸送で8万人の命を救う、でした。
この判断によって、8万人の命は救われ、100人のバスの運転手は英雄視されました。

結果、この話はそんなに有名にも美談にもなっていません。
ですが、私は支社長の苦渋の選択も心の苦しみも判る気がします。
そして「行ってこい」の号令も、冷徹な判断ではない、と染み染み思います。

支社長にも、選択肢はあったのです。

① 当番制の運転手を行かせる
② 挙手制で個人の意見を尊重する。
③ 自ら指名して命令として行かせる。

支社長が選んだのは③でした。

これは、危機の時代のリーダーシップは過去、模範とされていた「民主型リーダーシップ」ではなく、「専制型リーダーシップ」の必要性を物語っていると私は感じています。

賛否両論はあるかも知れませんが、(私的に^^)とても面白くなって来たので、次回はリーダーシップ(3~6種類)を交えて支社長の選択のお話を掘り下げてみようかと思います。

今回も、お付き合いいただいて有難う御座いました!!

危機の時代のリーダーとして活きる~①



「恐怖に打ち勝つ心を養うと、前へ進む力を得ることが出来る」

震災後、日本は本当の意味で危機の時代を迎えました。
メディアで報道されている事実に隠された本当の真実、そこには光明を消し去るだけの絶望が渦巻いています。
ただ、そういう時にもリーダーは正しい選択を迫られます。
諦めてしまえば部下と部下の家族に申し訳ない。
だから、リーダーとは日々、考え正しい判断をし、何があっても諦めてはならないのです。

これからしばらく私の考える「危機の時代のリーダー論」についてお付き合いいただければ幸いです^^

今日一日、
怒らず、怖れず、悲しまず
正直、深切、愉快に
力と勇気と信念を持って
自己の人生に対する責任を果たし
常に平和と愛を失わざる
立派な人間として活きる事を
厳かに誓います

以上は、私の敬愛する中村天風先生の述で、私自身、迷った時は原点に立ち返るために朗読しています。
その中でも今回は、恐怖に苛まれた心について。

生きていると様々な恐怖が心を過ぎります。
「失敗するんじゃないか」
「認めて貰えないんじゃないか」
「こんな時代だからダメだったらどうしよう」

私自身、まだまだ自分の心を支配することが出来ていないため、心に恐怖を抱くことが、ときにあります。
ですが、恐れを心に抱いている時、心身ともに強張り、正しい判断が出来ない過去を何度も経験したからこそ、だから支配しようと努力を重ねています。

また、ビジネスマンや経営者、家長の進む道には安心・安定が約束されている訳では有りません。
時に今後の繁栄と衰退のすべてを左右する判断を迫られる時も多々あることでしょう。

そういう時こそ、自分を信じ進むことが、危機の時代のリーダーの務めだと私は考えています。

とある経営者セミナーで講師の先生が受講生に出した質問。

貴方は○○交通の支社長です。
まさにメルトダウン直前、24時間という制限の中、100人の部下(バスの運転手)を差し出し、被爆対象となる(可能性のある)エリアに住む、8万人の命を救って欲しいと、国から本部の社長を通じ、依頼があったそうです。

本来であればこれは「命令」のところ、時の党首が民主党だったため、あくまでも「依頼」だったそうです。
※ 何故、命令なのかは、有事の際に住民の避難を最優先する約束のため、エリア独占にてのバス運営を約束されていたから。

さて、貴方は支社長としてどの様な判断を下すでしょうか、という質問でした。
皆さんも宜しければ考えてみてください。
その場にいたのは経営者または経営者に準ずる方たちが殆ど。
皆さんもその立場に立ったつもりで考えてみてくださいね。

その質問に対しての挙手が終わった後、先生からもう一問。

「実は、既にメルトダウンは始まっている。その事実を貴方だけに伝える。後の批判は承知で依頼を出す。貴方は8万人の命を救うために、100名の部下を差し出すか」

と言った質問。
皆さんはいかがでしょうか。

「菜根譚」の一節に、
道を守って生きていれば孤立する。だがそれは一時のことだ。
権力にへつらえば居心地は良かろう。
だが、そのうちに来るのは永遠の孤立だ。
真に価値ある人生を目指すならば、少数者になることを恐れてはならない。

「一時(いっとき)の孤立を恐れて遠縁の孤立を招くな」

という意味ですが、皆さんは、先ほどの○○交通の支社長の問題、いかがだったでしょうか。
これは事実あった話であり、そして実際にその支社長が決断した答えがあります。

明日の更新で支社長の決断を書きますね。
というか、人の講義で知った話を書いていいのか今更ながら?ですが^^;

まあこれも、知的財産の共有ということでお許しいただきましょう(笑)

ビジネスマンとして成功するために~③



「自分と向き合うという生き方」

昨日、私の前回の投稿記事に有り難い質問を頂いたので、今日のテーマを決めました^^
前回の投稿記事のテーマとは(読んでいただけると更にありがたいですが^^)
「成功哲学と人生の黄金律」
「人の人生はその人がいつも心に描いている通りになる」

質問のテーマに「自己暗示による俯瞰鳥瞰が失われることによるリスクについて」とありましたが、そこでもお答えしたとおり、成功するには自分自身と常に向き合う必要性があるのです。

話は少し変えますが、私は過去、とても高名な人間学の権威と呼ばれる先生の訓練を受ける機会を有難くも頂きました。
16名という人数が同時にその先生からの講和や指導を受けたのですが、その時に受けた感銘、それこそ成功を信じるということに対して皆、目を輝かせて聞き入り、訓練後も自分たちが運命の同期として熱く語り合う日々が続きました(しばらくの間(笑))
私は冷めているので(自分でも良い意味とは捉えていません)、少し浮いた存在だった様ですが…

あれから二年。当時の志を持って、成功を信じて突き進んでいる人が何人残ったか。

高尚な人間学の権威の先生自らの講義です。皆、自己暗示の大切さも学びました。
しかし、何故、その大半が続かないのか。
俗世に戻って生活をしているうちに折角、得た、高い目標意識が薄れて行ってしまう理由。

それは「理想」だけでは人のモチベーションは長続きしないからだと私は思っています。

成功という高い理想を掲げた以上、必要なのは今、自分自身が置かれている「現実」を見詰めること。そしてそれを受け入れること。
ですので俯瞰鳥瞰から自分自身を冷静に見詰めることは絶対に必要なのです。

夢を心に思うだけで叶う程、成功とはそんなに甘くはありません。
常に自分自身を俯瞰から眺め、今、自分がどのあたりにいるか、それを知った上で、自分自身と真剣に真正面から向き合うのです。
成功を信じれば信じる程、その道程が平たんなものではないと知る必要があるのです。
そして、知ることにより、自分自身の課題が浮き彫りになります。
足りない部分、驕り高ぶっている部分、慢心した部分、間違っている部分、様々見えて来ます。
その上で、知ることが出来たからこそ、課題に対してどうすれば克服できるかを考えられる様になる。

人の心は常に恐怖に囚われがちです。
現実の自分自身と正面から向き合った際、自分は出来ないのではないか、そう思った時点で成功とは掛け離れた結果しか生まないでしょう。

「人の人生はその人がいつも心に描いている通りになる」
人生の黄金律(ゴールデンルール)です。

自分自身と真剣に向き合い、それでも自分自身のビジネスにおいての成功が揺るぎないものだと思えれば、その人は必ず成功します。

次回は、「恐怖に支配されない心」について書こうと思います
よろしければまた遊びに来てくださいね^^