2013年9月6日金曜日

人生を豊かに生きるために~④



「宿命と運命」
~宿命を受け入れ、運命を定めた時、道は拓ける~

皆さんは宿命と運命の違いをご存知でしょうか。

宿命とは「宿る命(はたらき)」
貴方が男性で生まれたのも女性で生まれたのも○○家に生まれたのも命が宿った時に定められているもの。永久不変、あがらうことは出来ません。

運命とは「運ぶ命(はたらき)」
貴方が今、窮地に立っていたとしても、貴方次第でどうにでもなる
まさに命(はたらき)を運び、成功するも後悔するもすべてが自分自身の責任。

人生とは「宿命」ではじまり、「運命」で終わるのです。

あまり重く捉えていただきたくはないですが、私がこの世に生まれた日、親父が自殺しました。お袋は私の誕生を喜びひと目見た後、出て行った親父の姿を見送りながら眠りにつきました。夕刻、目を覚ますと喪服の親戚一同が母親のベッドを囲んでいる光景を見て、すべてを悟ったそうです。
お袋はそれより長い間、心の病に苛まれていました。

これが、私の宿命です。決して順風満帆な人生のスタートとは呼べない類でしょう。
私自身、過去、その宿命を恨みましたから。
他人の家庭と自分を比べ、惨めになり妬みを持ち、両親を恨み、世を拗ねていた時代を過ごしました。
しかし、宿命に囚われている間、運命は切り開かれないのです。
それを知ったのは18歳を過ぎた頃でしょうか。
ずいぶん遅い開花ではありますが(笑)

ちょうどその頃、人気の映画で「今を生きる」という海外版金八先生の様な映画が大流行していました。
実は観てはいないのですが(笑)
日本語訳したそのタイトルが、心に引っ掛かったのは事実です。

同時に、素晴らしい恩師に巡り合いました。
「世の中の全てを決めるのは自分自身の心」
当時の恩師に諭されたのが切っ掛けでした。
確かに、不幸だと思う人生も、やりがいがあると思える人生も、支配しているのは自分の心です。
自分の心に打ち勝ち、自分にまつわる出来事の全てを自分の責任と捉えることで道が拓ける、これは真理です。

その際、自分がこの世に生まれてきた以上、何かしらの意味がなければ生きている意味がない、と思ったのです。
生まれや人のせいにして生きていても、得るものが何もない。
むしろ心はいつだって枯れ果てています。
ならば、前だけ見て生きて行こうと。

「今を生きる」
人は過去にも未来にも生きることは出来ないのです。
過去を振り返って悔んでも現在は一刻一刻、進んで行くだけ。
未来を悲観して嘆いても、思った通りの未来になるだけ。
なのです^^

今、私は運命を切り拓いている最中、そして私が生まれてきた意味は、自分の経験値に基づく指針を、後世に継承していくこと。
心に一点の曇りもなく、そう言い切れます。
自らの命(働き)を、他人の為に使う。
それが私の「使命」であり、「天命」だと思っています。

さて、命=はたらき、と表しましたが、命=さだめ、ではありません。
日本人は(私も含めて)、命とかいて「さだめ」と読ませるのが好きですが、演歌の影響じゃないかと勝手に思っています(笑)

さて、儒学の教え、詩経(しきょう)には、
「周は舊邦(きゅうほう)なりと雖も(いえども)、其の命、維れ新たなりと」
という一文があります。
周(中国の歴史上の国)の歴史は古いが、その働きはいつも新しい
という意味です。
後半部分を漢文で書くと

「其命維新(その働き、維新なり)」

ここから「維新」という名が生まれたそうです。

さて、次回は因果律について。

偉そうに書きましたが、私もいまだに過去の自分自身における、「因果応報」に苛まれています(笑)
私の書く文章は、全て実体験によるもの、若い世代の方々に何かしら心に響くものがあれば幸いです。
もしよろしければまた遊びに来てくださいね^^

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