2013年9月6日金曜日

自分の心を、「楽」にする生き方~④



「恐怖に支配されない心を手に入れる」

喜怒哀楽とは人間が持つ様々な感情のうち、最も代表的な4つの感情のこと。
時に喜び、時に怒り、時に哀しみ、そして楽しむ。

先ず先にご理解いただきたいのは、この代表的な「喜・怒・哀・楽」4つの感情は、それぞれ4分の1ずつでは無いということです。
自分自身の人生を謳歌しようとする際、基本的にある感情は実は無意識が生み出す、「楽」「自ら楽しみ人を楽しませること」「いかに人生を楽しみながら日々過ごせるか」がベースになって来ます。

朝、朝日を浴び、何事もなく起きれたことに対する感謝としての喜び、夜、一日を無事に過ごすことが出来た感謝としての喜び。
人としての心を日々、育んでくれるでしょう

そして、時に感情を抑えることの出来ない怒りに震えることも、人との別れ、哀悼の気持ちを抑えきれず湧き上がる哀しみ。
時に経験する怒と哀の感情は、さらに人としての情愛を育み、人としての心の値として積み重ねられ成長します。
それが人間の心の基盤をつくってくれます。

そして、自分の心を「楽」にする生き方とは、一日の中で無意識に見せる感情の殆どを、自ら喜怒哀楽の「楽」にコントロール出来るかどうか。

言ってみればとても単純なことです。
ただし、心に恐怖を覚えた時、心のコントロールはとても困難に変化します。

「杞憂」はとても有名な言葉ですが、
中国の周の時代、杞の国の人が、天が落ちてこないか大地が崩れ落ちてこないか、必要の無い心配をして夜も眠れず食欲を失い、体を壊したという故事から。

有り得ない恐怖に心を支配される、いわゆる、取り越し苦労のこと

人が生きて行く上で感情のベースとなる「楽」という感情は、恐怖によって簡単に支配され、その人生は暗闇に包まれます。

「自分の企画が通らないのではないか」
「部長の怒りを買うのではないか」
「自分には才能が無いのではないか」
「もう自分は必要とされていないのではないか」

敢えて余り重すぎない様にと、一般の生活ではなくビジネスに置き換えてみましたが、
「楽」の感情を「恐怖」に苛まれている間は、心が正しく判断することが出来ません。
もちろん、正しく「怒る」ことも、正しく「哀しむ」ことも難しくなって来ます。
そして、「楽」の心を失えば、常に心身ともに強張り、目を開けても閉じても、マイナスの感情が先に来ます。

中国の故事の時代と違い、もしかしたら天変地異も大震災後の今であれば「有り得ない」ことでは無いかも知れませんが、先に起きることに恐怖して心を支配されて生きるよりは、今ある命と出逢いに対する喜びを糧に、心を穏やか、心を楽にして毎日を送る方が、人間に与えられた安らぎだと私は思います。

生きていれば様々なことがある。
しかし、その全てに意味があり、「神様は乗り越えることが出来る試練しか与えない」と信じて、恐怖に打ち克つ心を手に入れて前に進む勇気を手に入れたとき、人生は、もっともっと「楽」に、そして楽しくなるのではないかな、と、私なりに考えます^^

現代の社会では、自分の少しだけ心を安らげる場所を、自ら見つけたいものです^^

0 件のコメント:

コメントを投稿