2013年9月6日金曜日
自分の心を、「楽」にする生き方~③
「自分軸と他人軸、置き換えた時に初めて知る真理がある」
マザー・テレサが感銘を受けて、修道院の壁に書いたと言われる、ケント・M・キースの「逆説の十か条」
ご存知の方も多いかも知れません。
逆説とは、一見、心理に背いている様に見えて、実は真理の一面を当て表している表現。
「パラドックス~paradox~」という言葉で表されることもあります。
私が初めてこの十か条に触れたときの正直な感想は「無茶言うなよ…」でした。
ですが、歳を重ねるうちに、確かにその通りの事柄が、目の前の困難として立ち塞がる様になって行き、最初は不条理にしか感じなかったのですが、次第に、次第にですよ?
十か条の一節一節の後半部分「それでもなお、」に対して感銘を受けるようになりました。
若い頃の話ではありません。完全にオッサンになってから、ここ数年来、最近の話です^^;
例えば現実、私自身に今、直面しているのが、
八、何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
各か条文の前半部分を相手軸・他人軸からの視点、後半部分を自分軸からの視点(自身の正義)で観れば、全てが理不尽と捉えられる事柄も、
逆に前半部分を一人称である自分軸、後半部分を二人称、三人称である相手軸・他人軸で観た場合、心に落ちるようになりました。
仮に一、の前半部分
「人は不合理でわからずやで、わがままな存在だ」
ここに、一人称の自分自身に当てはめた場合、
私自身がそうであると思います。
しかし、振り返ってみれば、「それでもなお」、後半部分にある、
周りの人たちからの愛情を感じて来ました。
そこに気付いたときに初めて、自分自身の傲慢さも同時に体感したのです。
「何故、自分ばかり」、と思う時もあります。
しかし、本当に自分ばかり、なのか。
気づかぬうちに自分自身も相手に対して困難を与え続けているのではないか、
「それでもなお」許されていることに慢心して気付けていないだけなのではないか。
そう感じるようになり、落ち込むのではなく、「それでもなお」、与え続けてくれる人の心の優しさ全てに感謝出来る様になります。
自分にとっての逆風は、とても辛いですよね。
「何故?」の連続かも知れません。
「それでもなお」、怖がらず、置かれている立場、困難や試練に「感謝の心」を忘れず前を向いて突き進んで行く勇気こそ、成功への王道、そう私は考えます。
オッサンがオッサンになって、初めて感じるようになった事です^^
もしかしたら、もっと爺さんになったら、もっとずっと真理に近づけるのかも知れませんが(笑)
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