日本には「情けは人の為ならず」ということわざがあります。
「人に『情』を注ぐことはその人を救うだけではなく、巡り巡って
答えから書きますと、自分自身の心を満たす為の一番の近道は、「
これは後でご説明しますが、何も自分は後回し、自己犠牲の精神を
たとえば貴方が外科医だったとしましょう。やって来た患者さんは
貴方は手術のために過去の論文を読み漁り、やっと成功する方法に
患者さんはみるみるうちに健康を取り戻した。
ご本人とご家族の喜びはこれ以上ないものでしょう。
「先生、ありがとうございました」と感謝の握手を求められる訳で
私がもしその外科医だったとしたら・・・
手術を成功させたこと、それにより患者は再び生きる喜びを感じ、
これほど、外科医をやっていて良かった、と思う喜びはない。
きっと、ご本人よりも自分の方が心は満たされることでしょう。
それこそ、患者さんとの巡り合わせに心から感謝します。
さて、これが自分の為に、だとどうでしょうか。これも私の場合で
手術を成功させたことで自分の執刀医としての評判も鰻上り(うな
でも、患者さんからの謝礼の額が少なくてイラッとするかも知れま
あれだけの難病から救ってやったのに感謝の気持ちが足りない、と
折角、満たされたはずの心も、すぐに枯れてしまいます。
前者の場合は、自分の心が満たされた上に、評判も鰻上り。そのこ
どちらの人生が幸せか。
私が経営者セミナーで、一番最初に話をさせていただくテーマです
人を育てるには時間が掛かります。
「こんなにやってやってるのに」や、「あいつは俺に対して感謝の
自分に対する対価を求めるスタンスでは部下は育ちません。
部下に対する愛情は見返りを求めてはいけない。子育てと一緒です
愛情を込めれば込めるだけ、部下は成長し、そして人を幸せに出来
それが、自分に対してである必要はないのです。
部下がその下の部下を愛し、育てることが出来るようになれば、お
結果、自分の元に帰って来るという訳です。
さて、冒頭で触れた「自己犠牲」ですが、私は完全に否定します。
これこそ傲慢な考えだと私は考えています。
何故ならば、人はひとりで生きている訳ではありません。
「自分はどうでもいい、周りの人が幸せになるなら」
とても崇高な考えに一瞬、思いますが、その自己満足の陰には犠牲
そして、結果が思わしくない場合、「自分を犠牲にしてまで、こん
先ずは自分が幸せでなければ、生んでくれた両親に申し訳ないと思
ですので、人のために生きるということは決して自己犠牲ではない
結果、自分を含めた皆が幸せになるということです。
「For you と For me ~貴方のためにが私のために」
というお話でした^^
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