2013年9月6日金曜日

高接遇サービス&ホスピタリティの現状~②



「ホスピタリティ・サービス」という考え方

有名な話なのでご存知の方も多いでしょうが、サービスとホスピタリティは全く違います。

サービスの語源はラテン語の 「servitus」から来ています。
意味は「奴隷」。
客と自分(給仕人)との関係は、「主従関係」で、対価は「チップ(古くは食事)」
古代ギリシャの文献を紐解くと、家畜と奴隷とは同じ扱いだったことがわかります。
今でもヨーロッパの文化の中に「金銭による(金銭の範疇による)『奴隷契約』」という風習はあらゆるところで残っています。

ではホスピタリティとは。
同じく語源はラテン語の「hospice」 から派生してきた言葉です。
意味は「客人の保護」など。
中世ヨーロッパにて、十字軍の兵士や旅人のためにカトリック教会が作ったのが、ホスピス。
客と自分(奉仕者)との関係は、「ゲストとホストの関係」。
ホスピスにて兵士や旅人に献身的に介護に当たる精神をホスピタリティと呼び、そこから今日の病院を指すホスピタルという言葉が出来たと言われています。

日本では大きく分けられることのないこのふたつの精神。
ホスピタリティ・サービスなんて造語もあるくらいですから。
ですが、勝手な私の考えで申し訳ないですが、このふたつ。
敢えて分ける必要は無いのでは、と考えています。

日本では、サービス精神や、おもてなしの心より先に、「真心」と「思いやり」の心を幼少の頃から学びます。
以前から書いてますように、真心とおもいやりの心=忠恕(ちゅうじょ)、一文字で表すと「仁」
それがそのまま日本独自のホスピタリティを生み出しているのだと私は考えています。

決して「おもてなし」の押し付けではない、自然体のホスピタリティ。
「金払ったんだから元は取らなきゃ」と感じさせないサービス。

というのが、私が幼少の頃、テレビのCMなどの影響で「お客様は神様です」というキャッチフレーズが大流行しました。
それは長きに渡り、サービス業を卑下させた言葉でもあると私は感じ捉えています。
「客は神様じゃないのか!」「お客様は神様じゃないの?」
そう凄む客と困り果てた店員の姿は、普通に街中で良く見かけた光景。
その後、ホスピタリティという言葉が流行し始め、上記のフレーズも自然的に聞かなくなりましたが。

間違いなく言っておきますが、お客様は神様ではありません。もちろんお金を運んでくれる何かでもありません。企業経営者であれば当たり前に知っておかなければならない事ですが。

さて、ホスピタリティ精神、と言っても、もちろん金銭は発生します。
特に高接遇のホスピタリティを受けたいと思えばその金額も一気に跳ね上がります。
東京(本当は千葉にある)某有名テーマパークで家族で一日に遣う金額はどこのテーマパークよりも高いですよね。
ですが、満足度ももちろん日本一です。
高い満足度に対して高い金銭を対価に求めることは、特に悪いことでは無いと考えますし、プロとして「頑張った」「十分なおもてなしをした」では、自己満足の世界から抜け出せません。

プロとしてお客様に頂いた金銭=サービスではなく、頂いた金銭、それ以上の満足度の提供。

それこそが、日本独自のホスピタリティとサービスの進む道。
造語ではありますが、真の「ホスピタリティ・サービス」ではないかと私は提案したいですね。

欧米がどうだ、語源がどうだ(言ったのは私ですが^^;)、ではなく、心のこもったおもてなし。
表裏がないから、「おもてなし」だそうです。
であれば、原点となるのは真心と思いやりの精神。

原点を培って、日本のおもてなし文化を育てて行きたいものです^^

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