2013年9月6日金曜日

自分の心を、「楽」にする生き方~①

~自分の心を、「楽」にする生き方①~

「人間原理宇宙論」という言葉を聞いたことがある方、いらっしゃるでしょうか。

そもそも地球を含めた宇宙とは、人間の予測的観測により初めて成り立つ世界で、宇宙の歴史160億年も、人間が自らの尺度で予測した推論でしかなく、宇宙における現在・過去・未来の定義も、そして時間という概念も、人間の考察なくして成り立たないという考えです。
最近、マクロとはミクロから生まれた、というサイエンスドキュメンタリーを観る機会があり、ある意味、「うわっ!良く判んないけど怖っ」って感じましたが。
最初に感じたのは小学生の頃、「火の鳥」で、ミクロとマクロの世界を図解(漫画)で観た時のショックが大きいですね。

人は生まれて、しばらく生きてから必ず死にます。
これは誰もが認める、非例外ですよね。
そして、死んだ際に、21グラム程の体重が軽くなるそうです。

これは、宗教的には魂の重さ、科学的には人間個体の情報の重さ、と捉えられ、かなり前から研究がされているそうですが。
私は、学者ではないので「へー、そうなんだ」としか感じませんが、魂の存在を否定したい訳ではありません。
でも、そう考えると例えば、仮に空のCD-Rに音楽を収録した際、情報量として何μmか重さが増えるのかどうか、それより少ないながらも目に見えない単位の重さでも増すのかどうか、正直、興味本位で気になります。
どちらにせよ、凡人の僕には解り兼ねる世界です。

ただし、どんな理屈を越えたとして、ひとつ言いたいのは、それでも21グラムの情報体でしかなかったとしても、私たちに許され、私たちが体感しているこの世のすべての出来事の善し悪しは、結局、どんな原理があろうと、真理は自分の心が決めるということです

自然万物は神が創造したのか、そこに誰か何かの意図が存在するのか、それとも偶然が偶然を重ねた結果なのか、私には良く判りません。
ただし、霊山と呼ばれる山々や、自然の調和の美しさを目にした時、感動を越えた何かを感じるのも確かです。
逆に、生命や何かの限界を感じた時に、鬱蒼とする気持ちに覆われるのも確かです。

人に中傷されたり、傷ついたり、逆に中傷したり傷つけたり・・・
何時でも、自分の心が他の何かと自分を対比させてコントロールしている。
それだけは事実な気がします

人間の体には、頭の先から足の先まで神経が張り巡らされています

これを、ナーバスシステムと呼ぶそうですが、
大きく分けると、自分の意思で各期間を動かす(例えば、口や手など)神経=体制神経。
もうひとつは、自身の意思に関係なく機能を調整する、自律神経。
自律神経には、ストレスを司る交感神経、リラックスを司る副交感神経。
あくまでもこれは数ある学説の中で最も有力と(今の時点で)言われている説のひとつ。
※ ここ、科学・医学的に突っ込まないでくださいね、私が答えに困りますから(笑)

で、自律神経とは、個人として意識しなくても勝手に栄養を吸収して余剰な分を排泄したりする仕組み、簡単にいえば、ですが。

ところで例えば、うつ病。
肯定的な意見と否定的な意見があるのはこの際、無視します^^;
ただし、「うつ」と診断された際の脳内分泌は正常の状態と全く違うと科学的に解明されています。
これこそ、自律神経失調であり、でもそれを支配することが、人生を切り拓く為に乗り切る最たるものだと私は感じるのですが。

私自身、20歳過ぎから、常に37度以上の微熱があります。
過去、体の不調を感じ、それこそ医療の全セクションの診察を受けた程です。
結果は出ず。先生によっては「詐病(嘘の病気)」と診断されたこともあります。
そのあと、重いうつ病と診断されました。
その他、過去には大病もして、人生についてとても悩んだ時期もありますが、今は少し違うんですよ。

熱が高い=抗菌と戦う抗体が活躍する。
そして、自分の心が、人生を楽しくも悲しくもする、という風に気づいたからです。

私は自分が24歳の時に、上顎洞ガンと診断されました。
その時は、神にしがみつきました。
次は髄分、先ですね。
41歳の去年、ストレスからの胃潰瘍・十二指腸潰瘍が18個以上、発見された際、悪性の可能性を示唆されました。
三回もの精密検査の上、結局は今回、良性だったのですが。
ただ、その時に思ったのですよ。

24歳の時は、死神に取り憑かれた様に。
でも、41歳の時の自分が部下に言ったのは、「これからの俺の生き様。刮目せよ」でしたね^^
恥ずかしいですが、確かに言った…。

そう思えたのも(これも中身を対して読んでなくて申し訳ないですが)、安倍信三先生の「人生二度なし」という本のタイトルを知った、ただそれだけの事なんです。

気付いたからにはめっちゃラッキー、いえ、これ本当^^
アホに思えるかも知れませんが、生きているだけでラッキーだと思えると、人生はとても楽になります。

不調の原因は自分が生み出すのです。
これは、故・中村天風先生の述を読んで「うん、うん、その通り」と感じたのですが、「体は病んでも心まで病むな」という教えです

中村先生曰く、ある人は、「こんなに信心しているのに、何故、自分は病に苦しむのか」と、心を病んでしまう人。
もう一人は、中村先生曰く、ある人は、「体はかなりきついですが、心は元気、まだまだ生きてます」と答える人。
私はそこに人生の真理があると感銘を受けました。

自分を不幸な身と思えば、そりゃ一瞬、心は楽になる。それは私の経験上、そうだったから。
ただし、そのあと、とてつもない地獄がやってきます。
もし、自分を大変な事柄だが、これを自分に与えられた試練として受け止めたら、自分はもっと成長する、そう考えれば、人から観れば今は地獄でも、その先、天国がやってくる。
それが、私の身を張った、人生たった42年間の答えです。

仮に魂は、たかだか21グラムの情報体に過ぎないかも知れない。
しかし、そこに自意識を認められた分、悩み苦しみ、そして得ることの出来る達成感、その為に私は生きている、と言っても、先ず、過言では無いでしょう。

人生は苦しみの連続です、それはビジネスの世界も一緒です。
ですが、少しだけ自分を楽に俯瞰から観るだけで、人生は大きく変わる、ですが、それはあくまでもたった42年間の歴史しか持っていない私の持論です。
もちろん、反対意見も多いでしょう。
もし、84歳まで追求した方の生き方こそ正しい、と思うのであれば、それはそれで良いと思います。
私は自ら感じるのは、過去、様々あった中、42年も生き長らえることが出来たのは、偶然という名の「必然」、そう感じております

ですので、何か若い方に伝えることが出来るものは無いか、日々、感じる私を否定せず、受け入れてくださる方がひとりでもいらっしゃるとこれ以上の至福は無い、これは本音なのです^^

若い皆さんと比べ、私は何が出来る、という訳では有りません。
ただし、歳を重ねた分、「あいつ、偉そうだよ」と思われながらもニコニコ持論を述べる余裕だけ身に付いたのかも知れませんね^^

今日も、自らの経験値からのお話です。
お粗末様でした。

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